畳の歴史を知ろう!時代別にみる畳の使われ方を紹介

和室に欠かせない畳は、私たち日本人の生活に深く根付いています。皆さんの家でも、畳の上で過ごした思い出が1つや2つあるのではないでしょうか。

畳の持つ柔らかな質感と独特の香りは、和の文化を感じさせてくれるものです。しかし、畳が現在の姿になるまでには長い歴史がありました。

そこで本記事では、畳の歴史を時代別に見ていき、それぞれの時代でどのように使われてきたのかを紹介します。私たちが普段何気なく使っている畳の背後に隠れた歴史とその魅力を探っていきますので、ぜひご覧ください。

畳の歴史を時代に沿って解説

では早速、時代ごとに畳がどの様に使われていたのかを解説していきます。

畳の歴史【縄文時代~平安時代】

畳の歴史を紐解くと、縄文時代にまで遡ります。日本では農耕文化が広まっていた中で、稲わらなどの自然素材を用いて敷物が作られるようになったと言われます。竪穴式住居でも、わらなどで作られた敷物が使われていたことがわかっています。

古事記に記されている畳

日本に現存する最古の書物、古事記(奈良時代)には、「菅畳八重(すがたたみやえ)」や「皮畳八重(かわたたみやえ)」といった畳に関連する記載があり、この時代の畳は、現在の畳とは異なり、複数の敷物を重ねた形だったと考えられています。

古事記の中でも、神々が海を渡るときや、水に入るときに藁で作ったものを重ねて使ったと記されていることから、まさに重ねるものであることが伺えます。また、和歌の中でも、小屋で使う敷物として詠まれていることから、古くから敷物として使用されていたようです。

日本最古の畳

東大寺の正倉院には、「御床畳(ごしょうのたたみ)」という日本で最も古い畳として、現存しているものが保存されています。奈良時代の聖武天皇が使用したもので、畳の起源と言われているのが、この御床畳です。

御床畳は、ムシロのような敷物を5~6枚重ね、その上にコモを覆い、錦で飾り縁を施した厚みのある敷物です。この畳は木の台の上に載せ、2つを横に並べてベッドとして利用されていました。

権力の象徴であった畳

平安時代になると、畳は現代と似た形に進化し、社会的地位に応じて畳の厚さや縁のデザインや色が変わるようになりました。また、平安時代の畳は権力を象徴するものとされていたようです。

また、現代のように床全体を畳で覆うのではなく、必要な箇所にのみ畳を配置するという使われ方をしていました。特に、貴族の住居が寝殿造りになると、板の間に座布団の代わりとして畳を敷いたり、寝具として家中に畳が配置されることが一般的でした。

平安時代の絵巻物などには、置き畳として使われている畳が描かれています。位の高い人物が使用する畳には、厚みや縁にも決まりがあり、畳のタイプによって使う人が決まっていたとも言われます

京都御所の清涼殿は、寝殿造の伝統的な建築を今に継承しており、その中の畳は平安時代の古い慣習が色濃く残っています。「夜御殿(よんのおとど)」は天皇が眠る部屋で、中心に繧繝縁(うんげんべり)と呼ばれる高い位を表す畳縁の厚い畳を2枚敷き、さらにその上に1枚重ね、周りを屏風で囲んでいます。

一方、「昼御座(ひのござ)」では、繧繝縁(うんげんべり)の厚い畳2枚が横並びに敷かれ、上部に御茵(おしとね)が設置され、特定の儀式時にのみ使用されていたようです。

畳の歴史【鎌倉時代~江戸時代】

鎌倉時代には、座布団や寝具として使用されていた畳が、家の床材としての役割を担うように進化していきました。そして、建築様式が書院造に変わると、これまで必要な場所に配置されていた畳が、部屋全体、床全面に敷かれるようになりました。

鎌倉時代になると、畳職人は「畳差(たたみさし)」や「畳刺」と呼ばれるようになったとも言われます。

畳と正座のはじまり

畳が部屋全体に敷き詰められるようになったことで、室町時代ごろから日本独自の正座が一般的になりました。正座も、畳が部屋に広がったことによって生まれた座り方と言われます。この時代になると、畳職人は「畳大工」と呼ばれるようになりました。安土桃山時代から江戸時代にかけて、茶道が発展し、炉の位置に応じて畳の敷き方も変化していったようです。

畳奉行という役職

江戸時代には、「畳奉行(たたみぶぎょう)」という役職が設けられました。畳奉行は、江戸城内の座敷や、畳表替や、畳作りを管理する役目の役職です。畳を管理する役職が特別に設けられていることからも、畳は将軍や大名にとって欠かせない存在だったことが分かります。

庶民への広まり

畳が町民に普及するのは、江戸時代中期を過ぎたころと考えられています。特に、農村では明治時代に入ってから広まったとも言われます。現代の賃貸にあたる長屋では、入居者自身が畳を用意し、はじめから設置されていることはなかったようです。そのため、畳は非常に大切にされ、手入れをしながら長く使用できる方法も考えられるようになりました。

従来のい草は自生したものが使用されていましたが、江戸時代後期になると本格的な栽培が始まったと考えられています。畳を専門に作る「畳職人」や「畳屋」といった職業が確立し、庶民の家庭でも広く使用されるようになったのです。

畳の歴史【明治時代~昭和時代】

明治時代になると、一般の家庭でも、6畳や8畳の床の間付きの部屋が作られるようになりました。さらに、文明開化の影響で、洋風の家具や調度が取り入れられ、畳の上にも椅子が置かれるようにもなりました。

大正時代、産業革命と都市化が進む中での住宅の需要増に伴って畳の人気も高まっていきます。昭和時代の高度経済成長の時期には、住宅建設の急増やマンションの出現に伴い、多くの部屋に畳が必要になるなど、その地位を確立しました。

畳の歴史【現代】

現代では、フローリングが普及したことと、家を建てるときコストを抑えるため和室を作らない住宅も増えました。和室に欠かせない塗り壁や床の間、障子は、洋間を作るよりも建築費用も手間もかかるためです。

しかし、フローリングのデメリットとして部屋が冷える、音が響く、埃が舞いやすいといったこともあり、畳の魅力が再評価されるようになりました。現代では、床の間を作らず、壁も壁紙で仕上げた部屋に畳を敷き詰めた、洋風和室も多く見られます。

現代の畳の進化

また、簡易的にフローリングの上に置く置き畳や琉球畳にも注目が集まっています。畳の素材にも時代の変遷により変化が見られます。

現在、畳表に利用されているのは、い草だけではありません。和紙や樹脂といった、強度が強い素材でできた畳も存在します。さらに、畳床には稲藁だけでなく、ポリスチレンフォームなどの建材を取り入れ、ダニの発生を抑え、持ち運びもしやすいといった機能性も向上しています。

和紙畳は、い草の畳に比べてお手入れがしやすいといった特徴があります。い草畳は水に強くないため、汚れても水拭きしにくいという特徴がありますが、和紙畳は高い撥水性と優れた耐久性を備えています。しっかり絞った布を使えば水拭きだけでなく、掃除機でのお手入れも可能です。

そのため、い草の畳よりも部屋を簡単に清潔に保つことができ、利便性が向上しています。また、和紙畳は従来のい草畳と比べて、多彩な色柄が楽しめます。自然の緑だけでなく、ベージュやブラウンなど、お部屋の雰囲気に合わせて選ぶことができるでしょう。

また、市松模様や2色の緯糸を使用したデザインなど、多彩な柄があり、伝統的な和室だけでなく、洋室にも調和するモダンな畳空間を演出できるのが魅力です。

まとめ

畳の歴史は、日本の歴史と深く結びついています。時代ごとの畳の使われ方を知ることで、その文化的背景や価値がより深く感じられるのではないでしょうか。

畳が持つ深い歴史と伝統を知ることで、日常の中での畳の存在が一層特別に感じるかもしれません。もし、畳に関して、疑問や興味が湧いてきた場合には、お気軽に畑畳にお問い合わせください。

平安時代から長い時を経る中で、形を変えながら日本の伝統文化を支えてきた畳。現代のあなたの日常生活の中にも、畳を取り入れてみませんか。